江原啓之への質問状 スピリチュアルな法則で人は救われるのか
すごいバトル!
江原さんの本は何冊か読んでいますが、こういった、対談(バトル?)ものは
初めてでしたので、最初は驚きました。
聞き手の方が、たぶん一般的な人が聞きたいであろうことを、ズバズバ質問
していく。その勇ましさが、とても壮快でした。
ただ、他の方も書かれているとおり、江原さんが一人でお書きになっている
本なら「あぁ、そうか」と納得してしまう部分も、こういった対談形式と
なると、なんとなく消化不良をおこしてしまう部分も多少ありました。
やはり、人生は自分で切り開いていかねばならぬ、と解釈しましたが。。。
江原氏に対する疑問や矛盾が一般の方から生じる原因
本書で、
「勝手に解釈して「江原の言ってる事は矛盾してる」って。言葉を表面的に捉えずに本質を見極める感性が必要。」
とある。本質を見極められているか否かの差が矛盾を生む。
一般の方は江原氏の胸の内を完璧に見抜いて解釈した上でその言葉を聴いているか?という問題。
江原氏は相手の胸の内を見抜く事に慣れているかもしれないが、そういう能力の無い者は想像力で解釈するしかない。
そこで見極めたと思ってた本質に差が生じる。矛盾が一般の方から生まれる。
その時にもう少し言葉を添えて説明すれば同じ言葉でも間違った意味で伝わる事は減るのになと感じる事もある。
本書にて例えば
「就職難と言われて久しいけれど選ばなければ仕事はある」とあるが、
例えば、体力に自信の無い人に肉体労働をさせる場合に、ここまでは任せられても、それより先は危ないから任せられないというラインがある。
もしもそこで事故が起きたら、その人だけでなく会社の問題にもなる。
この世界では「必ず選ばなければならないライン」が生じる。万物の影響だ。
人は常にその局面に立たされているから学ぶ。江原氏も使命のためにこの仕事を選んでる。
例えやりたくない仕事を選ばされる時もあれば、回避させられる事もある。
与えられた仕事を何でもやれとそこから選ばされる事もある。必ず選ぶ局面はある。
だからと言って、どんな危険な仕事でも怪しい仕事でも何でもやれという意味と勘違いしない様に。
楽をするための選択と前進をするための選択は違うという意味。
「適職を見つけられない人は怠け者」と言うが、
適職にだって前述した様なラインは存在する。それをクリアしようと就職に向けて努力をしてる人は怠け者ではない。
適職に就く時期は人によってバラつきもある。
この表現だと表面だけを捉えた者により職探し中の人は全員怠け者だと言葉の暴力を引き起こす恐れがある。
努力不足と怠け者は意味が違う。
本質を見抜き読めるなら良本。
食い下がる「負け組」にスカッとする思い
『流行ってるみたいだけど、本当はちょっと「?」と思ってる』ような
「半エハラー」にもオススメの一冊。
著者はその露悪的なコメントにも明らかなように、自他ともに認める「負け組」でかなりイタイが、
それが自虐になろうが「いつ江原さんが怒りだしてしまうのではないかとハラハラし」ようが
どこまでも食い下がる姿勢はあっぱれ。
江原氏曰く、どんな辛い出来事も「それが学び」だから「幸せと思わないといけない」と
いうことで、「幸せをつかむ方法とは?」という著者の問いかけに対する明確な解答は得られない。
「物質中心主義的価値観」を捨てなければならないことは分かった、
じゃあそのやり方を教えてよという疑問にも一切の答えはない。
本人が「幸せ」と感じられないことを「それが幸せです」と言い切るのは、
何のことはない、本人が「白」にしか見えないものを「黒です」と断じるようなもの。
現実に辛い目に遭っている者がそれで果たして納得できるのか、
大衆の疑問は「そうはいっても辛いんです」という著者のコメントに
集約されているように思う。
「それが学びだから喜ばないと」と言われてしまったら、返す言葉がありません。
来世やカルマや守護霊や、確かめようのないことを
「まず信じなければ救いはない」という論理は要するに宗教と同じ。
信じる者(エハラー)のみが救われるということでしょうか。